概要
チカくて遠い、みかん山大冒険
千歌の家の周りは大好きなみかんの畑がいっぱい。秋の終わりに十も千も万も、みかんががたくさん実るんだ。
チカは小さい頃、みかん畑の果てに行って見たい!と思ったんだ。ある秋の日、西へ西へ、海岸線沿いに自転車をこいで。浦女のふもとを通りぬけて内浦をすぐ抜けて、白い大きな船が昔浮かんでた入江から始まる隣の西浦地区はもっと広くて、やっぱりみかん畑が山を登るように広がっていて。
自転車を走らせるのに飽きたから、自転車を降りてみかん山の中へ冒険に。れっつごー!みかん畑の間を抜けても、農作業用モノレール(※果南ちゃんが壊したアレ)をくぐっても、どれだけいってもみかん畑。そしたらね、一本だけ不思議なみかんの木があって。すごいんだよ、1本のみかんの木に2種類の実がなってるんだよ!?オレンジ色の夕日を浴びて輝くみかんがたわわに実ってた。あのときの胸いっぱいに光が差し込む感じは、今も忘れられない。
ふと気がついたら5時の時報が聴こえてきて、帰らなきゃと思ったら。帰り道がわからなくなっちゃった…急に怖くなって泣いてたチカを、通りがかった農園のおじいさんが助けてくれて――
あの日、山からチカと一緒に帰るとき、おじいさんは「このあたりのミカンは、みんなあのウチの木のこどもなんだよ」と笑ってた。帰りに早採れみかんを持たせてくれたあのおじいさん、絵本で読んだ、みかん仙人だったのかな…
山田寿太郎翁
甘みの強い、沼津を代表する内浦・西浦産の高級みかん「寿太郎温州」(じゅたろう うんしゅう)種。
寿太郎みかんを発見したのは、沼津市西浦 久連(くづら)の、みかん農家・山田 寿太郎(山田壽太郎)やまだ・じゅたろう)翁です。
「寿太郎温州」のキセキだよ!
新種発見
昭和50(1975)年春、山田寿太郎翁は自分のみかん畑に生えている青島温州種の木の一部に、変異のある枝(枝変わり)を発見しました。
もともと山田家の畑のみかんには以前から突然変異があったそうで、4つ目の突然変異だったというその木は、枝の節間が短く、葉色の濃い枝が広がるばかりで、一向に実がなりませんでした。
発見から3年経った昭和53(1978)年。この年は、みかんの当たり年でした。これまで実が出来なかった枝変わりの木にも、50個もの実が一度に成りましたが、なんと糖度が17度もありました(通常のみかんは平均糖度が約10〜11度)。寿太郎温州種の誕生です。
戦後のみかん市場と西浦みかんの苦境
さて、寿太郎温州が生まれた前後の全国みかん市場は何が起きていたか。
昭和30年代、農業基本法において果樹が「選択的拡大」部門として位置付けられたことによる、生産拡大と高度成長の所得増加に伴う購買拡大が続いていたみかん市場ですが、昭和40年台に入り、飽和状態になります。昭和43(1968)年に価格急落を起こして持ち直すものの、昭和47(1972)年に大暴落が起き、価格は昭和50年代を通じて低迷します。
全国各地のみかん生産者は生産調整だけでなく、高価格で売れるみかんを探求することになります。栽培技術向上、薄荷期を狙った早生種等の生産、糖度をチェックする選果技術、そしてなによりも食味のいい品種。そのような中で、静岡県内は旧品種「杉山」に取って代わるように、昭和40年前後から推奨され昭和50年代に本格的に普及していった、三ヶ日産に代表される糖度の高い「青島温州」により、昭和50年台後半からの価格上昇傾向に乗ることが出来ました。
西浦は、在来系の温州の、品質のばらつきから首都圏での競争力を弱めていました。それでも、昭和50年代に入り、西浦柑橘組合により青島温州への切り替えが促進され、昭和54(1979)年には青島温州単独での出荷が始まり、西浦みかんは高値で売れるようになっていきました。しかし、同じ青島温州でも三ヶ日産より糖度が0.5度~1.0度低いことなどからキャッチアップしきれません。
そこに現れた青島温州を凌駕する山田寿太郎翁の新種の発見。まさに西浦の救世主だったと言えるでしょう。キセキだよ!!
寿太郎をみんなでつくる物語
昭和54(1979)年、静岡県柑橘試験場と西浦柑橘出荷組合が山田寿太郎翁の新種の特性を調査します。すると、三ヶ日産青島温州に劣らない糖度であること、また樹勢がやや弱く西浦地区の肥沃な土壌以外では生育が困難であるという、2つの特性が分かりました。
昭和57(1982)年、柑橘出荷組合では、この“西浦ならでは”の新種の温州を「差別化商品」として特産化することを決定。各組合員に苗木1本を原木用として配布し、翌昭和58(1983)年からは生産者により、石川温州やカラタチに接木をして苗木を育成して増殖が図られました。さらに昭和59(1984)年度〜昭和61(1986)年度には寿太郎の苗木を購入する組合員に対して、出荷組合から1本あたり200円の補助金が交付されました。
昭和58(1983)年3月、新種は山田寿太郎翁の名前を取って「寿太郎温州」と命名。昭和59(1984)年の9月5日、寿太郎温州は農林水産省の登録品種となりました。
そして昭和60(1985)年度、63 トンがはじめて市場に出荷。青島温州の151円/kgを87円/kgも上回る236円/kgで取り引きされます。その後も寿太郎温州の高値は定着し、それに牽引されるように、寿太郎温州のみならず「西浦みかん」全体のブランドイメージが高まりました。
この勢いを受け、昭和62(1987)年度の西浦柑橘出荷組合生産者大会で、1991年度から在来系の普通温州の出荷を中止する旨の決議がされ、西浦の温州みかんは、青島と寿太郎が主力になったのでした。
そして現在、沼津市では、みかん栽培面積の5割を占めるまでに拡大し、出荷量でも平成19(2007)年に青島温州を抜いてトップになっています。
平成29(2017)年には、「JAなんすん」より「ラブライブ!サンシャイン!!」デザインの段ボール箱(10キロ入り、全25万ケース中18万ケース)と少量販売用袋が出荷されました。デザインはサンライズとの相談により、”オレンジ色の髪の毛をした主人公、高海千歌”が「第6話で高海が寿太郎みかんの箱を持っている場面がいい」(沼津朝日、2017.02.03)ということで決まったそうです。
【ニュース更新】西浦が産んだブランドみかん『寿太郎みかん』の『ラブライブ!サンシャイン!!』コラボパッケージが登場!詳細はこちら→ https://t.co/6BAKXQDX1I #lovelive pic.twitter.com/jnvUZSBy5t
— ラブライブ!公式 (@LoveLive_staff) 2017年1月26日
その後の山田寿太郎翁
寿太郎温州の発見者の山田寿太郎翁はその後、その栄誉をたたえられ数多くの賞を受賞。
長命され、平成28(2016)年10月21日、90歳で亡くなられましたが、80歳半ばを過ぎてなお、みかん畑で農作業に勤しんでいたそうです。
「寿太郎温州」はここがすごい
- 他のみかんの平均糖度が約10〜11度であるのに対し、12度あります。
- 一般的なみかんのシーズンが終わってからが出荷のピークを迎えます。競合が少ないため、高プレミアムの価格を維持できます。
- 果実の果皮はやや薄く、浮き皮が少なく、貯蔵性に優れます。
- 果樹が青島種より「わい性」であり樹高が低いため、農作業の省力化に有利です。
寿太郎温州のシーズン
時期 | 状況 |
12月頃 | 収穫が終わり、貯蔵を開始します。そして味が熟成されたみかん畑から出荷されます。 |
出荷まで | 貯蔵庫で温度と湿度を一定に保ち、1ヶ月~2ヶ月のあいだ熟成させます。貯蔵することで甘さを引き出し、酸味と甘みのバランスが良くなります。 |
2月の上旬から4月の上旬 | 一番味が乗った美味しい寿太郎温州の時期。 |
3月のお彼岸前後 | 常温貯蔵庫で管理された本格貯蔵を経た「プレミアム」出荷。 |
3月の下旬から4月の上旬 | 「プレミアムゴールド」出荷。 |
*備考:みかんには果実数が多くなる「表年」と少なくなる「裏年」があり、2016年度は裏年、2017年度は表年。もっとも、表年でも気候等によって不振の年もあります。
広がる寿太郎温州ワールド
寿太郎温州は、みのりの季節を過ぎてもお菓子やお酒などで一年を通じて、味わいを様々に楽しめます。
(もうご存じの方も多いかも)
以下は代表的なもの(他にもいろいろ)。沼津土産にどうずらぁ?
JAなんすん
- 寿太郎みかん100%生搾りジュース
- 寿太郎みかん缶詰
- 寿太郎みかんジャム
- 寿太郎みかんワイン
- 寿太郎みかんワイン スパークリング
和洋菓子・喫茶 松月
- 西浦みかんどら焼き
- 西浦みかんパウンド
雅心苑
- 西浦寿太郎蜜柑ゼリー
- 寿太郎みかんマドレーヌ
みかん専門店『mitu☆☆☆』
西浦みかん関連年表
年 | ことがら(★は西浦みかん関連) |
奈良時代(8世紀)以前 | 伊豆地域で、自生していた橘(タチバナ。ゆず・だいだいなどの柑橘一般のことらしい)が料理の薬味として使用されていた模様。 |
1632年 | ★西浦での小みかんによる年貢代納の訴状あり。 |
17世紀 | 薩摩国(鹿児島県)で、中国から伝わった柑橘類から温州みかんが偶然生まれ生産が始まる。 |
1772年 | 明和9年刊の笑話本「鹿の子餅」中に「蜜柑」収録。(後の落語「千両みかん」の元ネタ) |
1820年 | ★西浦に温州みかんが導入される。 |
1881年 | ★西浦・内浦で温州みかんの本格的栽培が始まる。 |
1929年 | ★西浦久連(くづら)にデンマークの国民高等学校を模範とした、興農学園が開校。 |
1928年? | ★山田寿太郎 翁誕生。 |
1935年頃 | 静岡市葵区福田ヶ谷の青島平十(へいじゅう)翁、尾張温州の変種である「青島温州」を発見。 |
1948年 | ★西浦村農協、設立。 |
1961年~ | 静岡県内で青島温州の普及が図られる。(1965年に静岡県奨励系統に指定される) |
1964年 | ★平沢集落に、協同選果場が設立される。 |
1968年 | みかん、全国的な価格暴落。 |
1972年 | みかん、再び全国的な大暴落。以降10年以上、価格低迷が続く。 |
1975年4月 | ★山田寿太郎翁、青島変種を発見。 |
1976年 | ★西浦村農協、沼津農協に合併。あわせて西浦柑橘出荷組合が設立され、西浦村農協の柑橘業務を継承。 |
1983年1月 | ★山田寿太郎翁の青島変種が「寿太郎温州」と命名される。 |
1984年9月5日 | ★642号「寿太郎温州」、品種登録される。 |
1985年 | ★寿太郎温州、初出荷。 |
1999年 | ★西浦・内浦柑橘出荷組合合併。 |
2000年 | ★西浦柑橘共同選果場が完成。 |
2003年 | ★寿太郎プレミアム出荷開始。 |
2008年 | ★山田寿太郎翁、大日本農会の紫白綬有功章を静岡県内で初めて受章。 |
2009年 | ★寿太郎プレミアムゴールド出荷開始。 |
2016年7月〜9月 | ★アニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」(第1期)放映。 |
2016年10月21日 | ★山田寿太郎翁、死去。 |
2017年2月 | ★JAなんすん、「ラブライブ!サンシャイン!!」高海千歌モデルのパッケージデザインの寿太郎温州を出荷。 |
小ネタ~西浦みかんと国木田花丸
西浦には、みかん生産が賑わっていた昭和30年代から50年頃まで、出稼ぎの人が多く来ていたそうです。出身地は東北(特に秋田県の水田地帯)が多く、出稼ぎの娘さんがそのまま西浦に嫁入りしたことも合ったそうな。
…んんん?「内浦生まれの爺ちゃんと、東北生まれのばあちゃんと…」と自己紹介していたメンバーが居ませんでしたっけ?
そう!国木田花丸ちゃんずら!逆算すれば祖母の年代は出稼ぎがあった時期と一致するし、隣村の内浦に嫁いでいても何にも不思議はない。ちなみにミカンバカ高海千歌のせいでついつい忘れがちですが、花丸ちゃんの好物もみかん。
ずら丸が美人なのは、みかん労働をしに沼津の西浦にたどり着いた秋田美人の血か!?
公野先生ら公式がそこまで考えてたか?知らにゃーよ。
主要出典資料
- 沼津市史 通史別編 民俗(2009)
- <論説>温州ミカン価格低迷下における生産者の対応と就業形態の変化 : 静岡県沼津市西浦地区の場合 [in Japanese] 助重 雄久.立正大学文学部論叢.(通号 95) 1992.03 http://ci.nii.ac.jp/naid/110000476895/
- 桜の季節も美味しい沼津・寿太郎みかんの謎 | 沼津のショッピングセンターイシバシプラザ スペシャルサイト(※元のページが消滅したためweb魚拓より取得)http://web.archive.org/web/20130413050040/http://blog.ip1484.com/?eid=990774
- 沼津市農業推進協議会 西浦みかんの歴史 http://www.wbs.ne.jp/bt/noushinkyo/tokusan/s_mikan.htm
- 沼津市農業推進協議会 県内初!山田寿太郎さんが紫白綬有功賞を受賞http://www.wbs.ne.jp/bt/noushinkyo/info/h21/h20_hyosho.htm
- 静岡県/地域の特産物(寿太郎温州)★寿太郎温州の原木 https://www.pref.shizuoka.jp/sangyou/sa-720/tokusan/jutaro2.html
- 静岡県/地域の特産物(寿太郎温州)https://www.pref.shizuoka.jp/sangyou/sa-720/tokusan/jutaro.html
- 特産品|JAなんすん(南駿農業協同組合)http://nansun.ja-shizuoka.or.jp/agri/tokusan/history.html
注意事項
※寿太郎温州の原木の場所(つまり山田家の畑)は非公開です。ちかっちのようにみかん園に無断で立ち入ったり、また畑を荒らしたりすることのないようお願いします。また、西浦江梨地区のように集落の周囲をイノシシ避けの電気柵で囲っているところもあるので、みだりに立ち入ると最悪、命に関わるかもしれませんのでご注意。